カメレオン

同志社ミス研の機関誌「カメレオン No.19」が届きました。
有栖川有栖先生と芦部拓先生の講演会記録が掲載されています。
内容を読んでいてあの時の講演会の事をうわぁっと思い出しましたよ。
  
有栖川先生の講演会はネットであらかじめ質問を募集していたのに、講演会の後半は客席からの質問コーナーが開始し、客席の空気が「じゃあそのあとにネットでの質問に答えていただけるのだろう」とネットの質問に被らないようありきたりな質問しか出来ず。
質問コーナーも終り、さてじゃあ後はネットでの質問の回答?? と思ったら何も無かったかのように講演会が終了してしまったという……。
 
ありゃあ、当時のミス研さん、大反省会だっただろうなぁ。
後日サイトに、ネットにいただいた質問は後日先生にお答えいただき「カメレオン」に講演会記録と一緒に掲載します。と流れていたんだけど。そういえばすっかり忘れてたなぁ。
サイトのチェックはあの頃からずっとしているから、外部の販売は多分今まで一度も無かったと思うのだけど。
今になって自分の質問の回答が読めるとは思わなかったよ(笑)。しかももうとっくに答えが出てるし。
    
この講演会があった2002年は、新本格ミステリの15周年にあたった年で、本格ミステリについてすごく熱く語られていた内容だったんだよねぇ。
 
本格ミステリに一番活気があった頃。
帯に「ミステリ」の文字があれば売れるなんて言われたり、第三の波の到来で「新本格」に「拡散」の動きが見え始め、今だからこそ『マレー鉄道』を書いたなんて先生がおっしゃっていた話とか。
「いつも心に本格を」なんて冗談まじりにおっしゃっていたり。
この講演会の後に仲間うちとの飲みで、乾杯の音頭にこれを言ったんだよなぁ。
 
翌年の芦辺拓さんの講演会も行きましたよ。
鮎川哲也賞が設立される前から、ご自分の中で「鮎川哲也賞」を設定して原稿を書かれ、ついに実際に設立された「鮎川哲也賞」を受賞してデビューしたくだりとか面白かった。
あの講演会の時期ちょうど、「ジャーロ」は鮎川哲也追悼特集が組まれていて、芦辺さんの書かれたパシティーシュに泣かされて、ジャーロのそのページにサインをいただいたんですが「不覚にも泣きました」とか口走ったような気がする(笑)。
  
まさかあれから6年で帯に「ミステリ」があると売れないなんて言われる時代が来るとは思わなかったけど。
この当時のミス研の部員さん達、いまでも「本格ミステリ」は好きですか?