{イベント]猫と針

恩田陸初戯曲の「猫と針」を観て来ました。
キャラメルの中でも好きな役者さんが3人も出ているので、嬉々として行ってきました。
ということで感想です。  
  
  
高校時代の同窓生の葬式帰り、集まった5人がただひたすらおしゃべりしている話。
コピーの「人はその場にいない人の話をする」通り、誰かが席を外すと「実はあいつ……」という話になる。
これがまたいやらしいんだわ。
あいつは旦那の借金で大変だったらしいとか、あいつは離婚したらしいとか、あいつは精神内科に通ってるらしい、あいつは訴訟を起こされているらしいとか。
もうドロドロ。しかも全て(ではないけど)本人には尋ねない憶測ばっかりで語られる。
本人が戻ってくると、仲良さそうに何でもない顔をする。
仮面を被る事ばかりが上手になる自分を嘲りながら。
  
なのに、時々チクリと皮肉がいり混じり。
何でもないはずの言葉が、自分の中の一番触れて欲しくない部分に突き刺さり。
上手く聞き流せない自分もいる。
  
リアル過ぎて。あるある、こういうのって思ってしまう。
猫の死を悼み語るような純粋さなどもう持ち合わせていない。
高校時代に信じていた理想的な未来など手に入れていない。
仲間の誰よりも自分が一番の落伍者に思え、ともかく誰かを自分の処まで引きずりおろしたい。
 
そんな感情をオブラートに包みこんでいるものだから、それは簡単に水に溶け、剥き出しになって見えてしまう。
 
一見和やかさを装っているのに、ピリピリした会話たち。
そうやって、過去と現在の事柄が一見和やかに、時にはピリピリと語られていくうちに、ふとしたきっかけで思い出した過去の苦い2つの事件が、実は裏で繋がっていたのではないかと気づきはじめる。
それはその場にいない人。
まさに今日葬式に遺影を飾られていた当人の人柄までも浮き彫りになっていく…、そして…。というお話。
途中まですごく面白かった。

トークブックを読むと、脚本は一度に全部を渡されず書き上げた先から渡されたらいし。
そのせいなのかな。最後がなんか……うーん……。

クライマックス。
最後まで何も語らなかった唯一のキャラクターが、1人になって初めて全てを吐露するのだけど。
この長台詞……どうもすんなり自分の中に入ってこなかった。
  
これが小説だったなら全然OK。地の文で読んだらきっと引き込まれる。
けど、演じた役者さんが、けっして下手な役者さんじゃない事も知っているし。
小説と脚本の違いなのか、演出の問題なのか???

6番目の同窓生のように寄り添っていたはずが、ひょいといきなり神の視点に追いやられた感じ。
本当にそうやって放り出すのが目的だったのなら分かるのだけど。

ラストのラストには、また6番目の同窓生に戻ってる。
エピローグでは予定調和のもうこれぞと言った絶妙なタイミングでぶった切られて幕。
うん、美味、美味(是非ともここは小説で読んでみたいぞ)。

だからこそ、あのワンシーンだけが気になるんだよなぁ。